メイン | 慈悲の真髄 »

世界柔道3日目で男子にようやくメダル

世界柔道初日に康生、鈴木がまさかの二回戦敗退となり、柔道ファンの私はかなりモチベーションが下がってしまいました。メダル獲得といってもいまだ金には届かず、来年の北京が非常に心配になってきました。今回、怪我で出場できなかった野村には是非期待したいと思います。


『参照記事』

【リオデジャネイロ来住哲司】来年の北京五輪の予選会を兼ねた柔道の世界選手権は第3日の15日、男女各2階級があり、男子73キロ級の金丸雄介(了徳寺学園職)が銅メダルを獲得し、日本男子陣で今大会初のメダリストになった。3位決定戦でセガル・ヒュイスズ(トルコ)に一本勝ちした。女子57キロ級の佐藤愛子(了徳寺学園職)は準決勝でケー・スンヒ(北朝鮮)に敗れたが、3位決定戦でジュリア・クインタバレ(イタリア)に一本勝ちで銅メダル。ケー・スンヒは史上5人目(女子4人目)の4連覇を達成した。女子52キロ級の西田優香(淑徳大)は3位決定戦でエリカ・ミランダ(ブラジル)に一本勝ちして銅メダル。男子66キロ級の秋本啓之(筑波大)は4回戦でミクロシュ・ウングバリ(ハンガリー)に敗退し、北京五輪出場枠(5位以内=上位6人)を逃した。日本男子は、8階級で行われるようになった79年以降の世界選手権で最少のメダル獲得数だった01、03年大会の4個を下回ることが確定した。
 最終日の16日は男女各2階級を実施。男子60キロ級の江種辰明(警視庁)、男子無差別級の棟田康幸(銅)、女子48キロ級の谷亮子(トヨタ自動車)、女子無差別級の塚田真希(綜合警備保障)が出場。
 ◇持ち味を存分に発揮…初出場の佐藤と西田
 決して前評判が高かったわけではない。だが、初出場の佐藤と西田が持ち味を存分に発揮し、銅メダルを獲得。特に佐藤の57キロ級は、日本勢3大会ぶりのメダルだ。
 「センスではなく、総合力と気持ちで勝てることを証明した」。佐藤は立ち技の切れの乏しさを、頭脳で補った。延長にもつれた2回戦では、組ませてくれない相手に双手刈りで効果を奪取。3位決定戦では、今大会の審判が片襟の反則を取らない傾向にあることを踏まえ、片襟を取って間合いを詰め、最後は立ち技から素早い連係で抑え込んだ。大会4連覇したケー・スンヒとの準決勝は、組み際の小外刈りで有効を奪われたが、それ以外は互角に戦った。
 西田は勝った5試合中4試合が一本勝ち。がっちり組まず、小刻みに前後左右に動くことで、パワー勝負でなく、スピード勝負に持ち込んだ。リーチの長い外国人に奧襟を取られ、組み負ける日本選手は多いが、西田は相手が奧襟を取りに来た瞬間を狙い、得意の左の背負い投げをかけた。

 2年前に階級を上げるまで、体調不良になるほどきつい減量と戦ってきた佐藤。この半年間、古傷の左ひじに加え、左ひざ、左足首と故障続きだった西田。ともに苦難を乗り越えた末の栄光だ。
 「自信になった。北京五輪の金メダルにつなげたい」と佐藤。西田は85年世界選手権代表の父孝宏さんに「金メダルは次まで待っていてください」と報告するという。次とはもちろん、北京五輪だ。
 ◇どん底からはい上がってきた男…銅メダルの金丸
 待望の男子メダリストだ。日本勢の不振が続いていた73キロ級で、金丸が銅メダルをつかんだ。
 ヒュイスズとの3位決定戦ではともえ投げで技ありを先取すると、最後は寝技で抑え込んで合わせ技の一本勝ち。もっとも、金丸は「世界チャンピオンになるのが目標。一つのミスで目標が台無しになった」と5回戦の敗戦を悔やみ、笑顔はなかった。その試合では中盤、王己春のともえ投げで有効を喫して失点。「残り時間は2分半以上もあったのに焦った」。強引に大外刈りを仕掛けて返され、一本負けした。
 筑波大4年で初出場した01年世界選手権で、切れ味鋭い背負い投げを武器に銀メダル。だが、その後は左肩や右ひじを痛めて精彩を欠き、04年アテネ五輪出場を逃した。「2年前から勝つことに執着するようになった。相手の足も取るし、そんなの日本の柔道じゃないと言われるかもしれないが、勝ってなんぼだ」という。
 技も背負い投げだけでなく、この日は袖釣り込み腰や足技、寝技を駆使。かけ逃げの反則を取られにくいともえ投げを多用し、うまく時間を使った。
 五輪と世界選手権で、この階級の日本勢のメダルは、自身が獲得した01年以来だ。「自分の今までの取り組みは間違いではなかった」と手応えはある。試合後、斉藤仁・全日本監督が「北京五輪では名前の通り、金を取れよ」と頭に軽くげんこつ。どん底からはい上がってきた男のたくましさが、メダルを引き寄せた。【来住哲司】
 ○…初出場の21歳・秋本は4回戦で敗退。04年世界学生王者のウングバリに組ませてもらえなかったが、相手が場外に出て指導を取られ、ポイントをリード。ところが、残り44秒で双手刈りを食い、逆転の有効を喫した。「不用意に棒立ちになってしまった」と悔やんだが、後の祭りだった。6月下旬に右ひじを脱臼したが、驚異的な回復力で出場にこぎつけた。「出てよかった。自分の力のなさが分かった」。父勝則さんは75年世界選手権軽中量級3位で、親子メダリストの夢はかなわなかった。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.b-blog.net/cgi_bin/mt/mt-tb.cgi/116

About

2007年09月16日 22:45に投稿されたエントリーのページです。

次の投稿は「慈悲の真髄」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34